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待つ保育って。

みなさん、こんばんは。

いろんな子たちと会い

いろんな刺激をもらい

いろんな学びを受けている、ずんずんです。

水面下で足をばたつかせながら

ときに迷い、ときに悩みながらも

それでも 前へ進んでいる(と思う)

こまめです(笑)。

今日は 落ち葉のふんわりおふとんで寝ていた女の子たち。

落ち葉で身体が見えないので

2歳のHくんが 二人の足を踏んでしまった。

それを許せないYちゃん。

そんなに気にしてないが

Yちゃんの真似をしているMちゃん。

それを見て 思わずあたしが入ってしまった。

「Yはどうしたいの?」

「Hはこういうときどうするの?」

話をさせて、いろんな気持ちを出させたかった。

でもまだ言葉が足りない2.3歳児。

うまく自分の感情を ことばにのせることができない。

それでも今日は待ってみた。

でも話は堂々巡り。

ここは わざとでなくても

痛みを負わせてしまったことは悪い。

だからあやまるのが大事。

と、シンプルに伝えればよかった。

でもHくんは ごめんね

という場面だということを知っていた。

ただ 2人の顔を見て言えなかったり

「いやだ。」と言ったり

「あ、飛行機だ。」と話をそらしたりするので

この場面に あたしはHくんを直面させたかったのだ。

そこがあたしの狙いだった。

お昼の前に また話をしてみた。

そしたらHくんが 二人の顔を見て

「ごめんね。」と言ったのだ。

場所を移し、少し周りを歩いて外向化させたので

落ち着いたこともあるのだろう。

でもそのことばに あたしは(H、すごいなぁ。)と感心したのだ。

最近、「待つ」ってどうなんだろう、と思う時がある。

「愛をもって待つ」

「子どもの力を信じて待つ」

すごく大事な信念であるし、必要なことだと思う。

でもあたしは ちょっとそこが

目的とずれてるとこもあるなと思い始めてる。

こまめの目的は

「自立する心を育てる」こと。

その自立を促すのも

「待つこと」が必要だ。

でも・・・

あたしの「待つ」は

何らかのアクションをいれて「待つ」ことなのだと思った。

他の森のようちえんも

きっとそうなのかもしれないけど

なんらかの手立てがあって

それによって そこからの子どもの動きを「待つ」。

子どもの気持ちや意見を拾い上げるのも大切。

でも聞いてるだけでは 解決に至らない。

子どもが「どうしたいのか」を引き出し

そして「待つ」。

押したり引いたりなのだ。

全部 子どもの力で、と考え信じていてもだめだ。

そこを補うために

指導者としてのあたしがいるんじゃん、と

改めて思った。

あたしの「待つ」は、。

自分の役割も

もう一回見つめられてよかった。

でも 今日は引き出すことにばっか注意を置いて

時間をかけすぎちゃったなと反省💦

あ~、教育って大事!難しい!

でもこれからの子どものことを考えるのって・・・

楽しい!!!

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 自然の中で 子どもに 自立心を 身につける

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